【メディアを疑え!】アルジェリア人質事件と朝日新聞の報道に関する雑感

「おまえら、人殺しのツラを見たくないのか?」

 

アルジェリア人質事件の報道があまりにも酷いので、久々にマスメディアと報道について書いてみようと思う。

既にご存知の方も多いと思うが、ことのあらましはこうだ。

 

北アフリカのアルジェリアという国で、イスラム武装勢力と見られる集団が天然ガスの関連施設を襲った。施設には800人以上の人々が拘束され、その中には日本人も相当数含まれていたとのこと。最終的に20日に実行犯が拘束されたが、日本人7名、外国人は8カ国計37名が犠牲となった。政府は犠牲者の氏名を非公開とする旨を発表。しかし朝日新聞が「実名は公表しない」という条件で遺族に取材をかけ、翌日の朝刊へ氏名を含む情報を掲載した。あまつさえFacebookから取得したと見られる顔写真までついており、その取材姿勢と紙面掲載について遺族から憤りの声があがっていた。

 

遺族の方の記した抗議のブログは下記URLである。

http://livemedia.jp/?p=1256

Tumblrの方に記事を引用してあるので、アクセス過多で上記が見れない際はご参照されたし。

http://kohmei.tumblr.com/post/41190049376

 

まずは本件の前提条件を整理しよう。

  1. 日本政府、及び犠牲者の所属企業は「実名の非公開」を決め、その旨が発表されていた。
  2. 実名を非公開とした理由は、生き残った方々と遺族へストレスやプレッシャーを与えないため。
  3. 近年の類似事案として、2004年におきたイラクの事件では犠牲者3名の名前を公表している。

 

さて、今回の決定について専門家は以下の様なコメントを出している。

「遺族の配慮は大事だが、被害者がどういう人で、現地でどんな役割をしてきたかを明らかにすることが、テロの全容を解明する上で必要となる。身元が分からなければ、会社や政府の対応に問題がなかったかを検証することもできない。」

(産経新聞:130122http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130122/crm13012221200022-n1.htm

果たしてこの指摘には妥当性があるだろうか。既に犠牲者の方々が所属していた企業は明かされており、アルジェリアで従事していた事業内容も判明している。それ以上の個人に関わる情報が何の役に立つだろうか。”不用意な発言で現地の人との諍いを起こした”であるとか、そんな人となりが問題になるような事例とは考えにくい。

 

また、22日には毎日新聞の小川一記者がTwitterで下記のような発言をし、物議を醸している。

「亡くなった方のお名前は発表すべきた。それが何よりの弔いになる。人が人として生きた証しは、その名前にある。人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない。」

https://twitter.com/pinpinkiri/status/293368492646883328

恐らくマスコミ関係者のうち実名を公表すべきという方の多くが上記のような意見なのではないだろうか。私は学生時代に読売新聞の科学部でインターンをさせて頂いたことがあるが、その時にお世話になった記者の方も同様のことを仰っていた。

 

曰く、

「事件や事故で被害者の所に行って色々と質問して記事にする。それはつらい思いをしている人々に対して酷いことをしていると思うかもしれないけれど、我々が書かなければその事件の事、その人の事は忘れられ、風化してしまう。そうならないために記事として残して、記録と記憶に留めるのだ。」

 

私の見解を述べると、そもそも 「なぜ留めなければいけないのか?」 がわからない。犠牲者の遺族は一生忘れるはずもないし、再発の防止などの観点だとするならばそれなりの情報があれば十分だろう。実名や人となりから私生活までの全てを世に晒す必要がどこにあるだろうか。

ところで、冒頭に記載したショッキングなセリフは、新潮社の週刊誌「フォーカス」を創刊した編集者・斎藤十一氏の言葉だそうである。

(佐々木俊尚氏のメルマガ「佐々木俊尚のネット未来地図レポート 2012.7.2  Vol.200」から引用)

結局今回の件も、この発言の延長線上に帰着するのではないのか? と私は思うのだ。

 

誰しもが持っている下衆な好奇心を満たすこと。恐らく自らの行為がそういった心に根ざしている物だということは、記者を始め関係者は皆わかっているのではないか。それを認めないために、自分の行為は下衆なものではないと正当化するために、前述のようなお題目をこね回しているだけでは無いのだろうか。

 

同時にこの疑念は我々にも向かうことになる。マスコミ各社自身が社会の木鐸だ、公正中立だと言った所で、所詮は彼らも営利企業。利益が出る方向へ事業が向かうのは、ビジネスとしては否定出来ない所だろう。(にも関わらず中立を主張するマスコミ各社の矛盾は、今は置いておく。)

つまり、マスコミを今のような惨状にしたのは、彼らの出してくる情報を受け入れ、更に刺激のある内容を求めてきた我々自身なのだろう。しかしだからこそ、今度は我々が「そのような情報は欲しくない」と彼らにNoを突きつける必要がある。

 

長文になってしまったが、皆さんはどうお考えになるだろう。新聞で、スポーツ紙で、週刊誌で。日々掲載されている記事の数々を、皆さんはどのように受け入れているのか。何故求めているのか。そこに今回の犠牲者の実名を取材し、掲載した記者と同じ、聞こえの良いお題目に隠した下衆な好奇心は無いだろうか。そして貴方自身は、その好奇心をどのように受け止めるだろうか。

 

「おまえら、人殺しのツラを見たくないのか?」

 

この問題を起こしてしまったのは我々である。そしてこの問題を二度と起こさないようにできるのもまた、私であり、そして貴方なのだ。